つれづれ
わたくし さくら が、心にうつりゆく よしなしごとを、そこはかとなく 書きつくっています
(これまでの流れは 入院記録_2 をお読みください)
1月9日朝、こうして私の入院生活はICU(集中治療室)から始まった。
右腕の肘の近くに点滴の針が刺さっていて、
腕を少し動かすたびに痛い。
だが、この点滴のお陰で激痛が和らいでいくのなら、
「これくらいへっちゃらだいっ!」ってなものである。
さっき説明に来てくれた看護師長さんや先生の他にも
いろんな人が入れ替わり立ち替わりやって来る。
血圧を測りに来たり、心電図計を取り付けに来たり、
熱を測りに来たり、点滴の減り具合を確認して新しいのに取り替えに来たり。
私はグッタリと仰向けに寝ながら、
せわしなく動く人たちの様子をぼんやり眺めていた。
そのうち、両親が紙袋を持って現れた。
どうやら私がICUに運ばれた直後、看護師長さんから両親にいろいろ説明があったようで、
入院生活にとりあえず必要なものを持ってきてくれたのだ。
つい数時間前までの、別室で激痛にうなされていた時から
とても長い時間が経っているみたいな、久し振りの再会のような感覚だった。
ICUは、様々な重い症状の患者さんが居る所なので
面会時間に関する規律が厳しい。
入院当日だけは、付き添いは終日OKだが、それ以降は
14時からの1時間と、19時からの1時間の、1日2時間だけだった。
両親は私に荷物を届けると、看護師さんに挨拶して帰っていった。
だって、夜中からずーっと私につきっきりだったから
さぞ疲れていたことだろう。
後日聞いたが、母は家に着いた途端グッタリだった、とのこと。
☆ ★ ☆
バタバタ慌ただしかった入院準備も一区切り付くと、
周りの様子に気が向く余裕が出てくる。
カーテンで隣と仕切られているこのスペースは、
お隣さんの声がよく聞こえてしまう。
私の左隣の男性患者さん(推定50代以上)も、今日から入院だったのか?、
付き添いの男性(お父さん?ご兄弟?お友達?)が行ったり来たりしていたが、
その人が帰った直後から、看護師さんを呼びつけては
「体を起こしてよ!」
「カーテン開けてよ!」
「お茶飲ませてよ!」
と、なにかと騒がしい。
もちろん私からは全然見えないから、聞こえてくる様子からの想像でしかないのだが、
もしや相当重病で全く動けないゆえのストレスからイライラしてるのか?、
それとも慣れない環境や病気への不安で落ち着かないのか?、と
いろいろ解釈を広げてみるのだが、それにしても
お願いの仕方がちょっと(いや、けっこう)乱暴な印象だ。
しかも、看護師さんもお忙しいからすぐに駆け付けられず、ちょっとでも待たされると
「ちょっとー!おいっ!!看護婦さんよー!!
」
とデカイ声を発する。
あー、病院っていろんな人がいるんだなぁ…と思っていたら、
看護師さんが数人、私の所へやって来て、そのうちの1人が
「さくらさん、ここ賑やかだから、ちょっと移動するね」
と小声で言って、ベッドと付属の機械類を動かしはじめた。
気を利かせてくださったのだな、と思った。
絶対安静を必要とする私、しかも、もしかして婦人科系の病気なら
あの男性患者の隣でそういう話をするのは・・・、と
配慮してくださったのではないか、と思う。
ありがたいです。
(実際の理由は別にあったのかもしれないけど?
)
移動した所は、同じICUの一番はじっこのほうで
窓が無いのか、さっきより薄暗かった。
でも静かで落ち着いていた。
はじっこなので、左側は壁、右側は、結局また別の男性患者さんだったけど、
声の様子からしておとなしい方だった。
☆ ★ ☆
絶対安静にしていなければいけないのだが、
トイレだけは歩いて行かせてもらうことが出来た。
とはいえ歩くのも、ベッドへの乗り降りも、おなかが苦しい。
そろりそろり、ゆっくり起き上がり、
点滴の吊されてるキャスター付きのスタンドを支えにして
一歩ずつヨロヨロ歩いてトイレに行っていた。
用を終えて手を洗う時、毎回思った。
健康な時なら別にどうってことない、手を洗うという普通の行為が
今の私にはとても貴重な行動なのだ、と。
水道の水に手をかざせることに、なんとも言い尽くせぬ贅沢感があった。
☆ ★ ☆
食事も飲み物も禁じられていたが、
唯一許されていたのは、氷をなめること。
どうしても喉が渇いて仕方ない時は、看護師さんにお願いすると
コップに2~3個氷を入れて持ってきてくれる。
それを、点滴の針が刺さっていない左手で1つすくって口に入れると、
ヒンヤリ冷たくて気持ちがいいし、だんだん溶けてきて喉も潤い、
束の間の楽しみだった。
同じICUの患者さんでも、みんなそれぞれ症状も違うし、
治療方法も、治療過程も違う。
私は絶食・絶飲だったが、近くには食事OKの患者さん達もいて、
1日3食が出ていたし、おやつやジュースも許されていたようだ。
食事の時間になると、お隣からは否応なしにご飯の匂いが漂ってくる。
それに、どうやら患者さん共用の冷蔵庫があるらしくて、
面会者が差し入れにジュースやカットフルーツ、ヨーグルト、プリンなどを持ってきたら
容器や袋に名前を書いて、その冷蔵庫に入れておけるらしいのだ。
看護師さんがお隣さんに、「なにか食べたいものある?」と聞くと、その人は
「じゃぁ、さっき家族が持ってきてくれたフルーツを」とか
「リンゴジュースが飲みたいです」とか言って、
おやつや食後のデザートを堪能していたようだ。
カーテン越しに、ご飯やおかずの匂いが鼻をくすぐり
食べ物・飲み物に関する会話が耳に入ってくるたびに、
「あ゙ぁ゙~ (>_<) 私だって退院したら…
ハンバーグとか、ラーメンとか、焼きそばとか…!
チョコレートとか、クリームたっぷり入った菓子パンとか…!!
あれもこれも、いっぱい食べてやるーっ!!!
」
と、やり場のないストレスを妄想に費やしたものだ。
だが、お隣さん、ある時看護師さんにこんなことを言っていた。
「あのぅ… 頭を動かすと耳の中がカサカサ言うんですけど。
もしかしたら、手術の時に血が流れて耳の中に入っちゃったんでしょうか…?」
そうか、この人はきっと頭部の手術をなさったのね。
痛み止めが切れると頭痛がひどくて眠れないとか、熱が上がったり下がったりとか、
そんな話を看護師さんとしていたなぁ。
おそらく絶対安静で、歩くことは禁じられていたのだろう。
おつらいだろうな。
人それぞれ、みんな何かがあってここに居る。
絶食・絶飲の不満なんて、
全体の、大きな大きなものの中の、ほんの小さなことなのだった。
☆ ★ ☆
皆さん、カレンダーを覚えているだろうか?
1月9日は土曜日でした。
10日は日曜日、11日は月曜日だけど祝日でした。
そう、私の入院は
いわゆる3連休からスタートしたのだ。
初日は先生が出勤だったお陰で運良く診てもらえたが、
次の日は日曜日で先生がお休みだったのだ。
もし1日ずれていたら、別の救急の先生が診てくださっただろうけど、
土曜日が運良くギリギリのタイミングだったことは確かで、
きっと神様の粋な計らいだったに違いない、と思う。
先生が休みの日曜日、看護師さんがこう言ったのを覚えている。
「A先生、さくらさんのこと心配して、わざわざ電話掛けてきてくれたのよ。
優しいわよねぇ。私 A先生優しいから大好きよ」
休日なのに、私の状態を把握して次の処置の指示を出すために
ICUに電話をくださった、というのだ。
嗚呼、なんてありがたい…
この看護師さんに限らず、他の看護師さん達からも
A先生は優しくて面白くていい先生だ、との評判を聞いた。
そんな先生が担当になってくださって、本当にありがたかった。
でも私、実を言うとあの時点ではまだ
A先生の名前と顔とが一致していなかった。
だから、
A先生 = 最初におなかを触って説明してくれた男の先生
と判明したのは、入院3日目の、1月11日の朝だった。
つづく
・ご無沙汰でございます
・入院記録_1
・入院記録_2
1月9日朝、こうして私の入院生活はICU(集中治療室)から始まった。
右腕の肘の近くに点滴の針が刺さっていて、
腕を少し動かすたびに痛い。
だが、この点滴のお陰で激痛が和らいでいくのなら、
「これくらいへっちゃらだいっ!」ってなものである。
さっき説明に来てくれた看護師長さんや先生の他にも
いろんな人が入れ替わり立ち替わりやって来る。
血圧を測りに来たり、心電図計を取り付けに来たり、
熱を測りに来たり、点滴の減り具合を確認して新しいのに取り替えに来たり。
私はグッタリと仰向けに寝ながら、
せわしなく動く人たちの様子をぼんやり眺めていた。
そのうち、両親が紙袋を持って現れた。
どうやら私がICUに運ばれた直後、看護師長さんから両親にいろいろ説明があったようで、
入院生活にとりあえず必要なものを持ってきてくれたのだ。
つい数時間前までの、別室で激痛にうなされていた時から
とても長い時間が経っているみたいな、久し振りの再会のような感覚だった。
ICUは、様々な重い症状の患者さんが居る所なので
面会時間に関する規律が厳しい。
入院当日だけは、付き添いは終日OKだが、それ以降は
14時からの1時間と、19時からの1時間の、1日2時間だけだった。
両親は私に荷物を届けると、看護師さんに挨拶して帰っていった。
だって、夜中からずーっと私につきっきりだったから
さぞ疲れていたことだろう。
後日聞いたが、母は家に着いた途端グッタリだった、とのこと。
☆ ★ ☆
バタバタ慌ただしかった入院準備も一区切り付くと、
周りの様子に気が向く余裕が出てくる。
カーテンで隣と仕切られているこのスペースは、
お隣さんの声がよく聞こえてしまう。
私の左隣の男性患者さん(推定50代以上)も、今日から入院だったのか?、
付き添いの男性(お父さん?ご兄弟?お友達?)が行ったり来たりしていたが、
その人が帰った直後から、看護師さんを呼びつけては
「体を起こしてよ!」
「カーテン開けてよ!」
「お茶飲ませてよ!」
と、なにかと騒がしい。
もちろん私からは全然見えないから、聞こえてくる様子からの想像でしかないのだが、
もしや相当重病で全く動けないゆえのストレスからイライラしてるのか?、
それとも慣れない環境や病気への不安で落ち着かないのか?、と
いろいろ解釈を広げてみるのだが、それにしても
お願いの仕方がちょっと(いや、けっこう)乱暴な印象だ。
しかも、看護師さんもお忙しいからすぐに駆け付けられず、ちょっとでも待たされると
「ちょっとー!おいっ!!看護婦さんよー!!
」
とデカイ声を発する。
あー、病院っていろんな人がいるんだなぁ…と思っていたら、
看護師さんが数人、私の所へやって来て、そのうちの1人が
「さくらさん、ここ賑やかだから、ちょっと移動するね」
と小声で言って、ベッドと付属の機械類を動かしはじめた。
気を利かせてくださったのだな、と思った。
絶対安静を必要とする私、しかも、もしかして婦人科系の病気なら
あの男性患者の隣でそういう話をするのは・・・、と
配慮してくださったのではないか、と思う。
ありがたいです。
(実際の理由は別にあったのかもしれないけど?
)
移動した所は、同じICUの一番はじっこのほうで
窓が無いのか、さっきより薄暗かった。
でも静かで落ち着いていた。
はじっこなので、左側は壁、右側は、結局また別の男性患者さんだったけど、
声の様子からしておとなしい方だった。
☆ ★ ☆
絶対安静にしていなければいけないのだが、
トイレだけは歩いて行かせてもらうことが出来た。
とはいえ歩くのも、ベッドへの乗り降りも、おなかが苦しい。
そろりそろり、ゆっくり起き上がり、
点滴の吊されてるキャスター付きのスタンドを支えにして
一歩ずつヨロヨロ歩いてトイレに行っていた。
用を終えて手を洗う時、毎回思った。
健康な時なら別にどうってことない、手を洗うという普通の行為が
今の私にはとても貴重な行動なのだ、と。
水道の水に手をかざせることに、なんとも言い尽くせぬ贅沢感があった。
☆ ★ ☆
食事も飲み物も禁じられていたが、
唯一許されていたのは、氷をなめること。
どうしても喉が渇いて仕方ない時は、看護師さんにお願いすると
コップに2~3個氷を入れて持ってきてくれる。
それを、点滴の針が刺さっていない左手で1つすくって口に入れると、
ヒンヤリ冷たくて気持ちがいいし、だんだん溶けてきて喉も潤い、
束の間の楽しみだった。
同じICUの患者さんでも、みんなそれぞれ症状も違うし、
治療方法も、治療過程も違う。
私は絶食・絶飲だったが、近くには食事OKの患者さん達もいて、
1日3食が出ていたし、おやつやジュースも許されていたようだ。
食事の時間になると、お隣からは否応なしにご飯の匂いが漂ってくる。
それに、どうやら患者さん共用の冷蔵庫があるらしくて、
面会者が差し入れにジュースやカットフルーツ、ヨーグルト、プリンなどを持ってきたら
容器や袋に名前を書いて、その冷蔵庫に入れておけるらしいのだ。
看護師さんがお隣さんに、「なにか食べたいものある?」と聞くと、その人は
「じゃぁ、さっき家族が持ってきてくれたフルーツを」とか
「リンゴジュースが飲みたいです」とか言って、
おやつや食後のデザートを堪能していたようだ。
カーテン越しに、ご飯やおかずの匂いが鼻をくすぐり
食べ物・飲み物に関する会話が耳に入ってくるたびに、
「あ゙ぁ゙~ (>_<) 私だって退院したら…
ハンバーグとか、ラーメンとか、焼きそばとか…!
チョコレートとか、クリームたっぷり入った菓子パンとか…!!
あれもこれも、いっぱい食べてやるーっ!!!
」
と、やり場のないストレスを妄想に費やしたものだ。
だが、お隣さん、ある時看護師さんにこんなことを言っていた。
「あのぅ… 頭を動かすと耳の中がカサカサ言うんですけど。
もしかしたら、手術の時に血が流れて耳の中に入っちゃったんでしょうか…?」
そうか、この人はきっと頭部の手術をなさったのね。
痛み止めが切れると頭痛がひどくて眠れないとか、熱が上がったり下がったりとか、
そんな話を看護師さんとしていたなぁ。
おそらく絶対安静で、歩くことは禁じられていたのだろう。
おつらいだろうな。
人それぞれ、みんな何かがあってここに居る。
絶食・絶飲の不満なんて、
全体の、大きな大きなものの中の、ほんの小さなことなのだった。
☆ ★ ☆
皆さん、カレンダーを覚えているだろうか?
1月9日は土曜日でした。
10日は日曜日、11日は月曜日だけど祝日でした。
そう、私の入院は
いわゆる3連休からスタートしたのだ。
初日は先生が出勤だったお陰で運良く診てもらえたが、
次の日は日曜日で先生がお休みだったのだ。
もし1日ずれていたら、別の救急の先生が診てくださっただろうけど、
土曜日が運良くギリギリのタイミングだったことは確かで、
きっと神様の粋な計らいだったに違いない、と思う。
先生が休みの日曜日、看護師さんがこう言ったのを覚えている。
「A先生、さくらさんのこと心配して、わざわざ電話掛けてきてくれたのよ。
優しいわよねぇ。私 A先生優しいから大好きよ」
休日なのに、私の状態を把握して次の処置の指示を出すために
ICUに電話をくださった、というのだ。
嗚呼、なんてありがたい…
この看護師さんに限らず、他の看護師さん達からも
A先生は優しくて面白くていい先生だ、との評判を聞いた。
そんな先生が担当になってくださって、本当にありがたかった。
でも私、実を言うとあの時点ではまだ
A先生の名前と顔とが一致していなかった。
だから、
A先生 = 最初におなかを触って説明してくれた男の先生
と判明したのは、入院3日目の、1月11日の朝だった。
つづく
・ご無沙汰でございます
・入院記録_1
・入院記録_2
written by さくら 2010年2月25日 00:48
朝方、痛み止めが切れて突如始まったお腹の激痛。
担当の先生が出勤してきて指示が出るまでは
看護師さんの判断で点滴を追加することは出来ない、という事態。
(これまでの流れは 入院記録_1 をお読みください)
こりゃー大変だっ!!
どうすりゃいいんだ?!この痛み!!
力を抜くことが出来なくても、せめて少しでも楽な姿勢を求めるのだが、
自分で寝返りを打つことが出来ない。
かといって、力んだままじっと同じ姿勢で居るのも耐えられない。
(前に書いたように、出来ることなら床をのたうち回って七転八倒したい程なのだから)
横を向いたり上を向いたり、膝を立てたり伸ばしたり、を
両親に体を動かしてもらうしかない。
そーっと丁寧に動かしてくれているのが充分に解っているのに
それでも痛くて痛くて…
布団の端っこをぎゅっと握り締めても、気休めにすらならない。
この世の終わりかと思った。
いや、まじで。
33年の人生における激痛ランキング、堂々のぶっちぎり1位である。
(今なら、那覇空港の腹痛のほうがまだマシだった と思える。)
そのうち、吐きたくなってきた。
父に体を起こしてもらって、ベッドの上に座った。
母がビニール袋を用意してくれた。
(用意周到な母、家から持参してくれていたのだ。ありがたし、母!)
自分で袋を持てなくて、親に持ってもらう。
ちょっと情けない。
でも、私も必死だった。
袋を持つ両親の手にしがみついて、必死に吐いた。
(毎度こんな話でごめんなさいね
)
母が看護師さんに、私が大量に吐いた状況を伝えると
看護師さんはすぐにやって来て、別室に移動することになった。
もしやここで手術が始まっちゃうんじゃないか?!、というような
テレビでよく見る手術の設備がある部屋に運ばれた。
まさかっ?! 緊急手術??!!
…ではなかった。
看護師さんが、点滴をしてくれた。
あれ?
点滴、ダメじゃなかったっけ?
という疑問が湧いたのは後々からであって、
この時はただ、されるがままだった。
運ばれてきてすぐ、もう一度吐き気が来て
看護師さんにビニール袋をもらいその準備をするが、
もう全部出し切ったからか、それとも吐ける体力も尽きたのか、
ビニール袋を持ったまま、ぐったりへたって
そのまま少し眠ってしまった。
「さくらさん、お部屋を移動しますね」
と声を掛けられて、目が覚めた。
数名の看護師さんがベッドを囲んで運んでくれている。
お腹の痛みは、さっきのMAXよりは少しトーンが落ちた感じ。
運ばれた先は、カーテンで仕切られたスペースに入院患者さん達がいる、
病院らしい風景の部屋だった。
部屋が明るかった。
照明の明るさだけではない。
窓から日が差してるんだ、ってことは朝になったんだな、と感じた。
ひとりの看護師さんが説明に来てくれた。
この部屋は ICU(集中治療室)で、
しばらくここに入院して治療しながら経過を診る、と。
その間は、食べ物も飲み物も禁止で、絶対安静にすること。
栄養は点滴で補うから大丈夫、と。
(後に知るのだが、この最初に対応してくれた看護師さんが
ベテラン看護師長のHさんだった。
ICUにいる間、とてもお世話になった方です)
ちょっとしてから、お歳は50代くらいの男の先生がやって来て、
お腹の様子をおもむろに見始めた。
右下腹部を押されると、めっちゃ痛い。
先生の手を思わず払い除けそうになる。
中央部を押されると、右と同じくらい痛い。
左下腹部を押されたら、ビックリした!
右よりもめちゃめちゃ痛いではないかっ!!
「あぁ、左も痛いんだね…」
と先生、なにやら考えている様子。
今度は先生、
押さえた時と パッと手を離した時ではどっちが痛いか?、と訊いてきた。
すると!
これまたビックリ!、押した痛みよりも
パッと離す瞬間のほうが、倍くらい痛みが強いのだ!
左下腹部をパッと離された時なんて、
「ちょっとあんた!何すんねんっ!」
と、思わず突っ掛かりそうになる程ヤバかった。
「あぁ、そうねぇ…」
と先生、またもなにやら考えている様子。
そして、
「検査の結果にもよるけど、もしかしたら婦人科かもしれないけど、
一応外科と婦人科の両方で対応していくから。」
と言って、颯爽と立ち去って行かれた。
この先生が担当の先生なのか?
それにしては自己紹介がなかったなぁ…
「私が○○科の△△です、よろしく」的なあいさつ、無し。
まだ外科か婦人科か解らない段階で、担当しますとは言えなかったのだろうと
今でこそ理解できるのだが、あの時は
「なんだ?このおっさんは?」
と、正直思ったものだ。
そして後々、この先生が婦人科のA先生だと知り、
全幅の信頼を寄せてA先生に手術していただくことになるとは、
この時点で知るよしもない…。
更に言えば、全て後になってわかることだが、
A先生は他の先生よりも 朝がお早いのだそうで、
もしA先生が担当じゃなかったら、私の地獄の激痛時間は
もっと伸びていたのではないか、と思うのだ。
吐いてから別室ですぐ点滴を処置されたのは、
もしやA先生が早急に指示してくださったからでは、と思ったりする。
つづく
入院記録_3 へ
担当の先生が出勤してきて指示が出るまでは
看護師さんの判断で点滴を追加することは出来ない、という事態。
(これまでの流れは 入院記録_1 をお読みください)
こりゃー大変だっ!!
どうすりゃいいんだ?!この痛み!!
力を抜くことが出来なくても、せめて少しでも楽な姿勢を求めるのだが、
自分で寝返りを打つことが出来ない。
かといって、力んだままじっと同じ姿勢で居るのも耐えられない。
(前に書いたように、出来ることなら床をのたうち回って七転八倒したい程なのだから)
横を向いたり上を向いたり、膝を立てたり伸ばしたり、を
両親に体を動かしてもらうしかない。
そーっと丁寧に動かしてくれているのが充分に解っているのに
それでも痛くて痛くて…
布団の端っこをぎゅっと握り締めても、気休めにすらならない。
この世の終わりかと思った。
いや、まじで。
33年の人生における激痛ランキング、堂々のぶっちぎり1位である。
(今なら、那覇空港の腹痛のほうがまだマシだった と思える。)
そのうち、吐きたくなってきた。
父に体を起こしてもらって、ベッドの上に座った。
母がビニール袋を用意してくれた。
(用意周到な母、家から持参してくれていたのだ。ありがたし、母!)
自分で袋を持てなくて、親に持ってもらう。
ちょっと情けない。
でも、私も必死だった。
袋を持つ両親の手にしがみついて、必死に吐いた。
(毎度こんな話でごめんなさいね
)
母が看護師さんに、私が大量に吐いた状況を伝えると
看護師さんはすぐにやって来て、別室に移動することになった。
もしやここで手術が始まっちゃうんじゃないか?!、というような
テレビでよく見る手術の設備がある部屋に運ばれた。
まさかっ?! 緊急手術??!!
…ではなかった。
看護師さんが、点滴をしてくれた。
あれ?
点滴、ダメじゃなかったっけ?
という疑問が湧いたのは後々からであって、
この時はただ、されるがままだった。
運ばれてきてすぐ、もう一度吐き気が来て
看護師さんにビニール袋をもらいその準備をするが、
もう全部出し切ったからか、それとも吐ける体力も尽きたのか、
ビニール袋を持ったまま、ぐったりへたって
そのまま少し眠ってしまった。
「さくらさん、お部屋を移動しますね」
と声を掛けられて、目が覚めた。
数名の看護師さんがベッドを囲んで運んでくれている。
お腹の痛みは、さっきのMAXよりは少しトーンが落ちた感じ。
運ばれた先は、カーテンで仕切られたスペースに入院患者さん達がいる、
病院らしい風景の部屋だった。
部屋が明るかった。
照明の明るさだけではない。
窓から日が差してるんだ、ってことは朝になったんだな、と感じた。
ひとりの看護師さんが説明に来てくれた。
この部屋は ICU(集中治療室)で、
しばらくここに入院して治療しながら経過を診る、と。
その間は、食べ物も飲み物も禁止で、絶対安静にすること。
栄養は点滴で補うから大丈夫、と。
(後に知るのだが、この最初に対応してくれた看護師さんが
ベテラン看護師長のHさんだった。
ICUにいる間、とてもお世話になった方です)
ちょっとしてから、お歳は50代くらいの男の先生がやって来て、
お腹の様子をおもむろに見始めた。
右下腹部を押されると、めっちゃ痛い。
先生の手を思わず払い除けそうになる。
中央部を押されると、右と同じくらい痛い。
左下腹部を押されたら、ビックリした!
右よりもめちゃめちゃ痛いではないかっ!!
「あぁ、左も痛いんだね…」
と先生、なにやら考えている様子。
今度は先生、
押さえた時と パッと手を離した時ではどっちが痛いか?、と訊いてきた。
すると!
これまたビックリ!、押した痛みよりも
パッと離す瞬間のほうが、倍くらい痛みが強いのだ!
左下腹部をパッと離された時なんて、
「ちょっとあんた!何すんねんっ!」
と、思わず突っ掛かりそうになる程ヤバかった。
「あぁ、そうねぇ…」
と先生、またもなにやら考えている様子。
そして、
「検査の結果にもよるけど、もしかしたら婦人科かもしれないけど、
一応外科と婦人科の両方で対応していくから。」
と言って、颯爽と立ち去って行かれた。
この先生が担当の先生なのか?
それにしては自己紹介がなかったなぁ…
「私が○○科の△△です、よろしく」的なあいさつ、無し。
まだ外科か婦人科か解らない段階で、担当しますとは言えなかったのだろうと
今でこそ理解できるのだが、あの時は
「なんだ?このおっさんは?」
と、正直思ったものだ。
そして後々、この先生が婦人科のA先生だと知り、
全幅の信頼を寄せてA先生に手術していただくことになるとは、
この時点で知るよしもない…。
更に言えば、全て後になってわかることだが、
A先生は他の先生よりも 朝がお早いのだそうで、
もしA先生が担当じゃなかったら、私の地獄の激痛時間は
もっと伸びていたのではないか、と思うのだ。
吐いてから別室ですぐ点滴を処置されたのは、
もしやA先生が早急に指示してくださったからでは、と思ったりする。
つづく
入院記録_3 へ
written by さくら 2010年2月10日 18:22
(これまでの流れは、ご無沙汰でございます をお読みください)
意を決して、救急車を呼んでほしい、と親に頼んだ。
9日の午前2時前である。
父が冷静に 119番に電話している時、
母はとりあえずの持ち物を準備してくれていた。
私はソファにうずくまったまま、
着の身着のままで行くことに若干の抵抗を感じていた。
だって、ぶくぶくに着ぶくれした部屋着…
毛玉つき放題の色褪せてるトレーナー…
こんなんでいいのか?!、と自問して葛藤していたのだった。
かといって、わざわざ着替えて救急車に乗るなんて変な話だし、
もっとも、着替えられるような動ける状況ではなかったから、
着ぶくれの部屋着を人前にさらすことに 観念するしかなかったのだが。
ほどなくして、遠くに救急サイレンが聞こえてきた。
あ~、あれがもうすぐ我が家にやってくるのね…と思うと
ちょっと不思議な感じがした。
救急サイレンを初めて自分のこととして認識した瞬間だったのだろう。
そして、サイレンが止まって間もなく、救急隊員2名が家の中へ入ってきた。
「どうしましたか? どのような具合ですか? 立って歩けますか?」
これまでの状況をざっと説明すると、
1階に担架が待機しているので そこまではなんとか歩けないか、ということで
救急隊員の方々に支えてもらいながら、そろりそろりと歩いてエレベーターに乗った。
父と母が二人とも、付き添いに来てくれることになった。
1階に着くと、もう1人救急隊員の方がいらした。
キャスターの付いた担架に乗り、救急車の中へ運ばれた。
車内で、症状や既往歴や最近の体調などについて、詳しく聞かれる。
「過去に同じように痛くなったことは?」
の質問に、ふと、 沖縄の那覇空港腹痛事件 を思い出した。
そういえば、あの時と同じ痛みかもしれない…
一応その時のことを伝えておいた。
その間にも、血圧や心電図を測ったりしながら
別の隊員の方が搬送先の病院を探している。
まず初めに、一番近くの市立病院に問合わせたところ、
外科の当直医が不在ということで、受け入れてもらえず。
次に問合わせた隣の市の病院も、同じような理由でだめ。
3件目のちょっと離れた病院で、やっと受け入れOKとなると
救急車はすぐに発車した。
救急患者の受け入れ拒否やたらい回し という医療問題に
こういう形で関わることになるとは。
初めて乗った救急車。
(不謹慎だと思いつつ、)興味津々だった。
お腹の痛みは、最初の時より少し和らいでいた。
これからどうなるのだろう?という不安のほうが大きかったかも。
とはいえ、救急車の中って意外と揺れるのね。
道路の凸凹の振動のたびに、お腹に響く。
こんなに揺れて大丈夫なのか?
「すみません、仕方ないもので…」と、救急隊員の方も恐縮していた。
10分くらい走ったのだろうか?、搬送先の病院に着いたらしい。
救急車の後ろのドアが開いて、私の乗っている担架ごと外へ運び出される。
救急隊員の方3名が立ち会い、病院内へ。
まず運ばれたのは、とりあえずの処置室(??)のような部屋。
そこに居たのは数名の医師と看護師。
救急隊員の方が先生に状況説明したり、
先生がお腹を触りながら私に質問したり、のやり取りのあと、
看護師さんが採血と点滴を処置してくれた。
ここで、思わず脱力の珍事件が!
私より前に運ばれてきたのであろう、他の救急患者さんの件で
看護師さんが携帯(もちろん医療用の携帯電話)で
患者さんのご家族に連絡を取ろうとしていた様子。
看護師さんと先生が、同時に携帯で話し始めた。
「もしもし?」
「はい、もしもし?」
「あれ? もしもし? もしもし?!」
なんと看護師さん、患者さんのご家族にではなく、
すぐ隣にいる先生の携帯に掛けちゃった!
看護師さんと先生、その距離およそ50センチ。
「あっ!!!(笑)
ここ(距離50センチ)で話したって…(笑)!!!」
事態に気付いた看護師さん、
その声を電話越しでも聞こえてやっと気付いた先生…
その場に居合わせた他の先生や看護師さん、救急隊員の方々、私、
全員が微妙な失笑…
(^^;)
お腹の痛みも、ほんのり和らいだ気がした。
そんな一幕もありつつ、まずは検査ということで、
レントゲンとCTを撮ることになった。
検査を受けるにあたり、承諾書に本人の署名が必要とのことで
力の入らない手でペンを持たされ、力のない字で署名した。
廊下で待っていた両親の前を通って、レントゲン室へ。
担架から撮影用ベッドへの乗り移りは
救急隊員の方と看護師さんが持ち上げてくれた。
腹筋に力が入らず、自分では動けなかった。
そのあとCTの部屋へ。
CTでは、普通の状態で一度撮影したあと、
造影剤を注射してもう一度撮影した。
採血、点滴、造影剤… いっぱい刺されるなぁ(涙)
最初の部屋に戻り、私のベッドから少し離れたところで、
病室に呼ばれた父に 先生が話しているのが聞こえた。
「検査結果が出るまでハッキリしたことはわからないですが、
盲腸かもしれないし、もしかしたら婦人科のほうかもしれません。
両方から診ていくことになると思います。」
そして今夜は、強めの痛み止めの点滴で一晩を過ごすことに。
最初の部屋からずいぶん離れた、建物の一番端っこの内科の一室に
担架に寝たまま運ばれて、朝まで待機することになった。
部屋を移る時、救急隊員のお三方のうちの一人が私に
「お大事に」と声を掛けて立ち去っていった。
お兄さん、かっこよすぎるぜっ!
最初から最後まで、とても優しく対応してくださった救急隊員さんに
心からお礼を言った。
お腹の具合は、点滴のお陰で状態が落ち着き、私はうつらうつら眠っていた。
父と母は、点滴が無くなったら呼んでください、と看護師さんに言われていたそうで
交代で様子を見てくれていたようだ。
こんな事にならなければ、
父も母も、私だって、今頃自宅のあったか~いお布団で
すやすや眠っている時間。
疲れているだろうに、付き添いさせて悪いなぁ、と思った。
でも、居てくれることがどれだけ心強かったかは、言うまでもない。
少し眠っては覚め、また眠っては覚め、を繰り返し…
どれくらい時間が経ったのか?、
ふと目覚めた瞬間、例の右下腹部に異様な激痛を感じた。
と言うより、やはり、痛みで目が覚めたのだろう。
「痛い…!!!」
そばに居た母に知らせるように、声を発した。
大丈夫?、と両親が私の顔を覗きこむ。
が、もうこの時、
「大丈夫」と返事できないレベルに来ていた。
とにかく痛い!
とにかく痛い痛い!!
とにかく痛い痛い痛い!!!
点滴が無くなり、母が看護師さんに知らせた直後に痛みを訴え始めたそうだ。
痛み止めで抑えられてたのが、ぶり返しちゃったのね。
看護師さんが来てくれたが、
今夜はこれ以上同じ点滴を続けることが出来ない、と言う。
私が眠っている間に、すでに数回点滴が追加されていたようだ。
かなり強い痛み止めだから、これ以上は先生の指示がないと出来ない、と。
なんと無情な。
でも、当の本人はあの時、そんな事情について
どうのこうの感じている余裕の欠片もなかった。
とにかく、マジで、なんつっても痛い!
ベッドから降りて、床を這いずり回って、のたうち回って
文字どおり『七転八倒』したいくらいの激痛。
だが、それが出来ない。
ピクリとも動くことが出来ないのだ。
目覚めた直後「痛い!」と感じて体に力が入ったまんま、
身動きが取れないのだ。あまりにも痛すぎて。
だから、動けない代わりに声を発するしかない。
声にならない声で、
「んーー痛いー! 痛いー! 助けてー!!」
と繰り返すしか、すべがなかった。
そんな我が子を見守る事しかできない父と母も、
さぞ心が痛んだだろう、と思う。
点滴が出来ないとわかっていても、
いたたまれなくて看護師さんを呼んでは、
なんとかならないでしょうか、と懇願する父と母。
私が「痛い!」とわめかずにグッと我慢していれば
父と母を心配させずに済んだのかもしれない。
でも、ごめんなさい、
あの痛さをおとなしく耐え抜くことは
弱い私には出来ませんでした。
「我慢強い子なんですけど、こんなにも痛がっているということは
相当痛いはずなんです…!」
看護師さんに言った母の言葉は忘れられない。
看護師さんは何も出来ず、
朝になって担当の先生が来るまでこのままお待ちください、
と言い残して行ってしまう。
あとから聞いたが、この時、午前7時前。
担当の先生が来る9時頃までの 約2時間、
更に地獄を味わうことになる。
つづく
入院記録_2 へ
意を決して、救急車を呼んでほしい、と親に頼んだ。
9日の午前2時前である。
父が冷静に 119番に電話している時、
母はとりあえずの持ち物を準備してくれていた。
私はソファにうずくまったまま、
着の身着のままで行くことに若干の抵抗を感じていた。
だって、ぶくぶくに着ぶくれした部屋着…
毛玉つき放題の色褪せてるトレーナー…
こんなんでいいのか?!、と自問して葛藤していたのだった。
かといって、わざわざ着替えて救急車に乗るなんて変な話だし、
もっとも、着替えられるような動ける状況ではなかったから、
着ぶくれの部屋着を人前にさらすことに 観念するしかなかったのだが。
ほどなくして、遠くに救急サイレンが聞こえてきた。
あ~、あれがもうすぐ我が家にやってくるのね…と思うと
ちょっと不思議な感じがした。
救急サイレンを初めて自分のこととして認識した瞬間だったのだろう。
そして、サイレンが止まって間もなく、救急隊員2名が家の中へ入ってきた。
「どうしましたか? どのような具合ですか? 立って歩けますか?」
これまでの状況をざっと説明すると、
1階に担架が待機しているので そこまではなんとか歩けないか、ということで
救急隊員の方々に支えてもらいながら、そろりそろりと歩いてエレベーターに乗った。
父と母が二人とも、付き添いに来てくれることになった。
1階に着くと、もう1人救急隊員の方がいらした。
キャスターの付いた担架に乗り、救急車の中へ運ばれた。
車内で、症状や既往歴や最近の体調などについて、詳しく聞かれる。
「過去に同じように痛くなったことは?」
の質問に、ふと、 沖縄の那覇空港腹痛事件 を思い出した。
そういえば、あの時と同じ痛みかもしれない…
一応その時のことを伝えておいた。
その間にも、血圧や心電図を測ったりしながら
別の隊員の方が搬送先の病院を探している。
まず初めに、一番近くの市立病院に問合わせたところ、
外科の当直医が不在ということで、受け入れてもらえず。
次に問合わせた隣の市の病院も、同じような理由でだめ。
3件目のちょっと離れた病院で、やっと受け入れOKとなると
救急車はすぐに発車した。
救急患者の受け入れ拒否やたらい回し という医療問題に
こういう形で関わることになるとは。
初めて乗った救急車。
(不謹慎だと思いつつ、)興味津々だった。
お腹の痛みは、最初の時より少し和らいでいた。
これからどうなるのだろう?という不安のほうが大きかったかも。
とはいえ、救急車の中って意外と揺れるのね。
道路の凸凹の振動のたびに、お腹に響く。
こんなに揺れて大丈夫なのか?
「すみません、仕方ないもので…」と、救急隊員の方も恐縮していた。
10分くらい走ったのだろうか?、搬送先の病院に着いたらしい。
救急車の後ろのドアが開いて、私の乗っている担架ごと外へ運び出される。
救急隊員の方3名が立ち会い、病院内へ。
まず運ばれたのは、とりあえずの処置室(??)のような部屋。
そこに居たのは数名の医師と看護師。
救急隊員の方が先生に状況説明したり、
先生がお腹を触りながら私に質問したり、のやり取りのあと、
看護師さんが採血と点滴を処置してくれた。
ここで、思わず脱力の珍事件が!
私より前に運ばれてきたのであろう、他の救急患者さんの件で
看護師さんが携帯(もちろん医療用の携帯電話)で
患者さんのご家族に連絡を取ろうとしていた様子。
看護師さんと先生が、同時に携帯で話し始めた。
「もしもし?」
「はい、もしもし?」
「あれ? もしもし? もしもし?!」
なんと看護師さん、患者さんのご家族にではなく、
すぐ隣にいる先生の携帯に掛けちゃった!
看護師さんと先生、その距離およそ50センチ。
「あっ!!!(笑)
ここ(距離50センチ)で話したって…(笑)!!!」
事態に気付いた看護師さん、
その声を電話越しでも聞こえてやっと気付いた先生…
その場に居合わせた他の先生や看護師さん、救急隊員の方々、私、
全員が微妙な失笑…
(^^;)
お腹の痛みも、ほんのり和らいだ気がした。
そんな一幕もありつつ、まずは検査ということで、
レントゲンとCTを撮ることになった。
検査を受けるにあたり、承諾書に本人の署名が必要とのことで
力の入らない手でペンを持たされ、力のない字で署名した。
廊下で待っていた両親の前を通って、レントゲン室へ。
担架から撮影用ベッドへの乗り移りは
救急隊員の方と看護師さんが持ち上げてくれた。
腹筋に力が入らず、自分では動けなかった。
そのあとCTの部屋へ。
CTでは、普通の状態で一度撮影したあと、
造影剤を注射してもう一度撮影した。
採血、点滴、造影剤… いっぱい刺されるなぁ(涙)
最初の部屋に戻り、私のベッドから少し離れたところで、
病室に呼ばれた父に 先生が話しているのが聞こえた。
「検査結果が出るまでハッキリしたことはわからないですが、
盲腸かもしれないし、もしかしたら婦人科のほうかもしれません。
両方から診ていくことになると思います。」
そして今夜は、強めの痛み止めの点滴で一晩を過ごすことに。
最初の部屋からずいぶん離れた、建物の一番端っこの内科の一室に
担架に寝たまま運ばれて、朝まで待機することになった。
部屋を移る時、救急隊員のお三方のうちの一人が私に
「お大事に」と声を掛けて立ち去っていった。
お兄さん、かっこよすぎるぜっ!
最初から最後まで、とても優しく対応してくださった救急隊員さんに
心からお礼を言った。
お腹の具合は、点滴のお陰で状態が落ち着き、私はうつらうつら眠っていた。
父と母は、点滴が無くなったら呼んでください、と看護師さんに言われていたそうで
交代で様子を見てくれていたようだ。
こんな事にならなければ、
父も母も、私だって、今頃自宅のあったか~いお布団で
すやすや眠っている時間。
疲れているだろうに、付き添いさせて悪いなぁ、と思った。
でも、居てくれることがどれだけ心強かったかは、言うまでもない。
少し眠っては覚め、また眠っては覚め、を繰り返し…
どれくらい時間が経ったのか?、
ふと目覚めた瞬間、例の右下腹部に異様な激痛を感じた。
と言うより、やはり、痛みで目が覚めたのだろう。
「痛い…!!!」
そばに居た母に知らせるように、声を発した。
大丈夫?、と両親が私の顔を覗きこむ。
が、もうこの時、
「大丈夫」と返事できないレベルに来ていた。
とにかく痛い!
とにかく痛い痛い!!
とにかく痛い痛い痛い!!!
点滴が無くなり、母が看護師さんに知らせた直後に痛みを訴え始めたそうだ。
痛み止めで抑えられてたのが、ぶり返しちゃったのね。
看護師さんが来てくれたが、
今夜はこれ以上同じ点滴を続けることが出来ない、と言う。
私が眠っている間に、すでに数回点滴が追加されていたようだ。
かなり強い痛み止めだから、これ以上は先生の指示がないと出来ない、と。
なんと無情な。
でも、当の本人はあの時、そんな事情について
どうのこうの感じている余裕の欠片もなかった。
とにかく、マジで、なんつっても痛い!
ベッドから降りて、床を這いずり回って、のたうち回って
文字どおり『七転八倒』したいくらいの激痛。
だが、それが出来ない。
ピクリとも動くことが出来ないのだ。
目覚めた直後「痛い!」と感じて体に力が入ったまんま、
身動きが取れないのだ。あまりにも痛すぎて。
だから、動けない代わりに声を発するしかない。
声にならない声で、
「んーー痛いー! 痛いー! 助けてー!!」
と繰り返すしか、すべがなかった。
そんな我が子を見守る事しかできない父と母も、
さぞ心が痛んだだろう、と思う。
点滴が出来ないとわかっていても、
いたたまれなくて看護師さんを呼んでは、
なんとかならないでしょうか、と懇願する父と母。
私が「痛い!」とわめかずにグッと我慢していれば
父と母を心配させずに済んだのかもしれない。
でも、ごめんなさい、
あの痛さをおとなしく耐え抜くことは
弱い私には出来ませんでした。
「我慢強い子なんですけど、こんなにも痛がっているということは
相当痛いはずなんです…!」
看護師さんに言った母の言葉は忘れられない。
看護師さんは何も出来ず、
朝になって担当の先生が来るまでこのままお待ちください、
と言い残して行ってしまう。
あとから聞いたが、この時、午前7時前。
担当の先生が来る9時頃までの 約2時間、
更に地獄を味わうことになる。
つづく
入院記録_2 へ
written by さくら 2010年1月29日 22:55
こんにちは!
今日も【あろまのわ】にお立ち寄りいただき、
ありがとうございます!
…あのですね
実はわたくし、新年早々から
ちょっとした一波乱がありましてね…
1つ前の記事 賀正☆2010 をUPした、その24時間後の
8日深夜(正確には、明けて9日の0時過ぎ)。
その日は遅めに帰宅したので夜ごはんも遅く食べ終え、
お腹いっぱいになって、ついついテーブルにうつぶせて
うたた寝していたのです。
と、パッと目が覚めた瞬間、
右下腹部に激痛がっ!!
っつーか、激痛で目が覚めたのか?
「いてててて…
」
手でさすったり押さえたりして様子を見るが、
痛みの止む気配がさっぱり無い。
傍らで両親が心配そうに見守る。
「右側なら…、盲腸かもね…」
「救急車呼ぶ?」
救急車なんて大袈裟な、と、その時は思ったのだ。
実は、夜ごはん、
ちょーお腹が空いてたので
いつもより多めによそって、ガツガツ食べてしまったのだ
しかも食後にすぐ、お腹を圧迫するような体勢でのうたた寝
きっと消化に負担が掛かって、警告的にシクシク来てるだけだろう、と
そう思ったのだ。
だから、こんなんで救急車呼んじゃったら救急隊員の人に迷惑だろうし、
行った先の病院でもきっと
「いい年の女が、食べ過ぎくらいで救急車呼ぶんじゃねーよっ!」
と迷惑がられるに違いない、と、本気でそう思ったのだ。
しかし、
痛みは一向に引かない。
痛くてお腹に力が入らず、
テーブルの椅子からソファに移るのも一苦労。
ソファでうずくまってじっと耐えていたら、
今度は吐き気がしてきた。
あ~、やっぱり食べ過ぎだったのね…
と、後悔してももう遅い。
2度、戻した。
(きれいな話じゃなくてごめんなさい)
やれやれ、あとは安静にして…となる筈が、
右下腹部の激痛がまだ続いている。
ちょっとこれは尋常じゃないかも…
覚悟を決めて、救急車を呼んでもらうことにした。
9日午前1時半だった。
私、今回の一件は
どうしても全部を書き記さねば、という使命感に駆られています。
結果を先に言っちゃうと、
救急車で運ばれてそのまま入院となり、検査して手術して、
12日間の入院を経て退院する訳ですが、
この経験を、自分の中で整理する為にも書きたいし、
もしかしたら誰かのお役に立てるかもしれないし(立たなくても全然いいのだし)、
【あろまのわ】をいつも見に来てくださる方々に、ご無沙汰だった理由をきちんと説明したいし。
だから私、これから時間を掛けながら事の全容を記録していきますので、
良かったら読んでくださいましね
まぁ、他人の病気の話なんてあんまり詳しく知りたくもないでしょうけれども…
(^^;)
気楽に気長に、いつもどおりでお付き合いいただけたらありがたいです
そんなこんなで、あっという間に1月も下旬。
4月並みの陽気
が来たかと思えば、一気に寒さが戻ったりして
、
大変な1週間でしたねぇ。
みなさん、ご体調は大丈夫ですか?
ちょっと体調がおかしいな、と感じた時点ですぐに対処すれば
症状がひどくならずに済みますし、回復も早いから。
お仕事だったりお付き合いだったりで
無理して頑張らなきゃいけないこともいろいろあるってもんですが、
それでも なるべくなるべく、無理を最小限にとどめて
ココロとカラダをお大事に
冬はまだまだ続きますよ
入院記録_1 へ
今日も【あろまのわ】にお立ち寄りいただき、
ありがとうございます!
…あのですね
実はわたくし、新年早々から
ちょっとした一波乱がありましてね…
1つ前の記事 賀正☆2010 をUPした、その24時間後の
8日深夜(正確には、明けて9日の0時過ぎ)。
その日は遅めに帰宅したので夜ごはんも遅く食べ終え、
お腹いっぱいになって、ついついテーブルにうつぶせて
うたた寝していたのです。
と、パッと目が覚めた瞬間、
右下腹部に激痛がっ!!
っつーか、激痛で目が覚めたのか?
「いてててて…
」
手でさすったり押さえたりして様子を見るが、
痛みの止む気配がさっぱり無い。
傍らで両親が心配そうに見守る。
「右側なら…、盲腸かもね…」
「救急車呼ぶ?」
救急車なんて大袈裟な、と、その時は思ったのだ。
実は、夜ごはん、
ちょーお腹が空いてたので
いつもより多めによそって、ガツガツ食べてしまったのだ
しかも食後にすぐ、お腹を圧迫するような体勢でのうたた寝
きっと消化に負担が掛かって、警告的にシクシク来てるだけだろう、と
そう思ったのだ。
だから、こんなんで救急車呼んじゃったら救急隊員の人に迷惑だろうし、
行った先の病院でもきっと
「いい年の女が、食べ過ぎくらいで救急車呼ぶんじゃねーよっ!」
と迷惑がられるに違いない、と、本気でそう思ったのだ。
しかし、
痛みは一向に引かない。
痛くてお腹に力が入らず、
テーブルの椅子からソファに移るのも一苦労。
ソファでうずくまってじっと耐えていたら、
今度は吐き気がしてきた。
あ~、やっぱり食べ過ぎだったのね…
と、後悔してももう遅い。
2度、戻した。
(きれいな話じゃなくてごめんなさい)
やれやれ、あとは安静にして…となる筈が、
右下腹部の激痛がまだ続いている。
ちょっとこれは尋常じゃないかも…
覚悟を決めて、救急車を呼んでもらうことにした。
9日午前1時半だった。
私、今回の一件は
どうしても全部を書き記さねば、という使命感に駆られています。
結果を先に言っちゃうと、
救急車で運ばれてそのまま入院となり、検査して手術して、
12日間の入院を経て退院する訳ですが、
この経験を、自分の中で整理する為にも書きたいし、
もしかしたら誰かのお役に立てるかもしれないし(立たなくても全然いいのだし)、
【あろまのわ】をいつも見に来てくださる方々に、ご無沙汰だった理由をきちんと説明したいし。
だから私、これから時間を掛けながら事の全容を記録していきますので、
良かったら読んでくださいましね
まぁ、他人の病気の話なんてあんまり詳しく知りたくもないでしょうけれども…
(^^;)
気楽に気長に、いつもどおりでお付き合いいただけたらありがたいです
そんなこんなで、あっという間に1月も下旬。
4月並みの陽気
が来たかと思えば、一気に寒さが戻ったりして
、
大変な1週間でしたねぇ。
みなさん、ご体調は大丈夫ですか?
ちょっと体調がおかしいな、と感じた時点ですぐに対処すれば
症状がひどくならずに済みますし、回復も早いから。
お仕事だったりお付き合いだったりで
無理して頑張らなきゃいけないこともいろいろあるってもんですが、
それでも なるべくなるべく、無理を最小限にとどめて
ココロとカラダをお大事に
冬はまだまだ続きますよ
入院記録_1 へ
written by さくら 2010年1月23日 20:24
ちと油断してるうちに
前の更新から あっという間に10日以上も
空いてしまいました!
こんばんは!
みなさん体調崩したりせずお元気でしょうか?
本日も【あろまのわ】にお立ち寄りくださり
ありがとうございます!
自宅最寄り駅前の街路樹のイルミネーションが先日点灯され、
青や白にキラキラ☆ピカピカ☆と輝いております。
(その様子を以前載せた記憶が…。
あとでPCから編集したら、そこにリンクつけておきますね)
↓
こちらでした(07年12月12日の記事でした)
年末なんだなぁと。
そんな時期に来てるんだなぁと。
否が応でも焦らざるを得ない雰囲気です。
(^^;)
「クリスマスケーキ予約受付中!」
とか、
「年賀状印刷承ります」
とか、11月に入って急に目立ち始めましたよね。
8月中頃、近くの文具店で
9月始まりの2010年版の手帳が店頭に並んだ時も
非常にビックリして焦りましたが。
(^◇^;)。。。
今宵はこのへんで。
せめて気力だけでも
風邪やインフルエンザに負けないつもりで乗り切りましょうね!
あ、もちろん
手洗い・うがい・睡眠・栄養はきちんとね♪
(+アロマケアもぜひぜひ取り入れてみてくださいませ)
前の更新から あっという間に10日以上も
空いてしまいました!
こんばんは!
みなさん体調崩したりせずお元気でしょうか?
本日も【あろまのわ】にお立ち寄りくださり
ありがとうございます!
自宅最寄り駅前の街路樹のイルミネーションが先日点灯され、
青や白にキラキラ☆ピカピカ☆と輝いております。
(その様子を以前載せた記憶が…。
あとでPCから編集したら、そこにリンクつけておきますね)
↓
こちらでした(07年12月12日の記事でした)
年末なんだなぁと。
そんな時期に来てるんだなぁと。
否が応でも焦らざるを得ない雰囲気です。
(^^;)
「クリスマスケーキ予約受付中!」
とか、
「年賀状印刷承ります」
とか、11月に入って急に目立ち始めましたよね。
8月中頃、近くの文具店で
9月始まりの2010年版の手帳が店頭に並んだ時も
非常にビックリして焦りましたが。
(^◇^;)。。。
今宵はこのへんで。
せめて気力だけでも
風邪やインフルエンザに負けないつもりで乗り切りましょうね!
あ、もちろん
手洗い・うがい・睡眠・栄養はきちんとね♪
(+アロマケアもぜひぜひ取り入れてみてくださいませ)
written by さくら 2009年11月8日 23:34 * コメント(0)
あじさいといえば、
そりゃー6月、梅雨の季節を彩る美しい花です。
がっ!!
わたくしさくら、33歳にして初めて出会ってしまいました、
秋のあじさいがあることを…
自宅の最寄り駅構内にある 生け花コーナーにて。
(以前もネタで取り上げてました! → こちら や こちら)
全体的な赤い葉は、どうだんつつじ。
チラリと見え隠れしている黄色みは、菊。
そして手前のほうにあるのが…
よーくご覧なさってくださいまし!
確かにあじさいでしょう?!
その名もずばり、「秋あじさい」と言うらしい。
6月のあじさいは、ジメジメしたうっとうしい梅雨空の下、
私たちの心を晴れやかにしてくれるパッと鮮やかな色。
雨のしずくに映える色。
そして秋あじさいは、やはり
澄んだ空気と高い青空が似合うと思うなぁ。
赤や黄色やオレンジ色の落ち葉が風に吹かれて
カサカサと道端で舞う夕暮れ時、とかも合うなぁ。
大人の色って感じがするなぁ、秋あじさい。
深い色だなぁ…
あじさいが好きで、秋が好き。
そんな私にとって、秋あじさいは
なんとも形容し尽くしがたい、素晴らしく素敵なお花でありました…
みなさんは、秋あじさいのこと知ってましたか?
どこかでお見掛けになったら
ぜひじっくり観賞してみてくださいませ!
そりゃー6月、梅雨の季節を彩る美しい花です。
がっ!!
わたくしさくら、33歳にして初めて出会ってしまいました、
秋のあじさいがあることを…
自宅の最寄り駅構内にある 生け花コーナーにて。
(以前もネタで取り上げてました! → こちら や こちら)
全体的な赤い葉は、どうだんつつじ。
チラリと見え隠れしている黄色みは、菊。
そして手前のほうにあるのが…
よーくご覧なさってくださいまし!
確かにあじさいでしょう?!
その名もずばり、「秋あじさい」と言うらしい。
6月のあじさいは、ジメジメしたうっとうしい梅雨空の下、
私たちの心を晴れやかにしてくれるパッと鮮やかな色。
雨のしずくに映える色。
そして秋あじさいは、やはり
澄んだ空気と高い青空が似合うと思うなぁ。
赤や黄色やオレンジ色の落ち葉が風に吹かれて
カサカサと道端で舞う夕暮れ時、とかも合うなぁ。
大人の色って感じがするなぁ、秋あじさい。
深い色だなぁ…
あじさいが好きで、秋が好き。
そんな私にとって、秋あじさいは
なんとも形容し尽くしがたい、素晴らしく素敵なお花でありました…
みなさんは、秋あじさいのこと知ってましたか?
どこかでお見掛けになったら
ぜひじっくり観賞してみてくださいませ!
written by さくら 2009年10月27日 18:33 * コメント(0)
さっきテレビで
女性タレントさん達がフリースロー対決してるのを
音声無しの映像だけで チラッと見た。
バスケットボールが似合う女子は
かっこいいと思うのだ。
私なんか
ドリブルでもたついて
ただの“鞠つき”になってしまう…
(>_<)
ボールをつきながら走るなんて
そんな器用なこと出来ないっつーの!!
運動音痴。
だから子供の頃から
運動会が嫌いだった。
中学2年の時のこと。
当時バドミントン部に所属し
それなりに毎日 走って筋トレして素振りして…とやっていたから、
体育の時間の50メートル走で
奇跡の8秒台を 1度だけ出したことがあった。
(8.8秒だったか、8.7秒だったか?)
その年の運動会の、
クラス対抗リレーの女子代表を選ぶ際、
その50メートル走のタイムが参考にされ、
速い順の上位5名が名前を呼ばれた。
あろうことか、
5番目が私だった!
(°□°;)
担任教師が
「この5人の中から2名を選びます。
クラス代表に相応しいと思う人のところで手を挙げて。」
と言って、速い人から訊いていった。
私は絶対に絶対にリレーはイヤだった!
だって、私、
カーブをうまく走れないんだもの…
50メートル走は直線だからなんとかなったが
リレーとなると、トラックのカーブを回らなきゃいけない。
無理ムリ!
っつーか 5番目のあたしが選ばれるわけがない!
誰も手なんか挙げやしないさ!
楽勝楽勝!
○○ちゃんと●●ちゃん(速い上位の2人)頑張ってね~☆
と、自分はすっかり終わった気分でいたら、
「では、さくらさんがいいと思う人?」
の担任の問いに
数人が手を挙げやがったではないか!?
(きれいじゃない言葉で失礼!)
え゙ーーー?!
(°□°;)
アホちゃうか??
なんで5番目なのに相応しいとか思うわけ?!
あまりの仰天と動揺で
私に挙手したのがどこのどいつか確認するのも忘れたくらいだ。
だが、当然ながらごくごく少数だった為、
私は代表に選ばれずに済み、事なきを得たのだった。
ホッ!(^o^;).....
あ、バスケの話でしたよね?
すっかり横道に逸れました。
常々思うのです、
生まれ変わったら
バスケ部でバシバシ活躍しちゃうような
運動神経抜群な女の子に生まれて来たいなぁ、と。
そんな、無い物ねだりの願望に端を発した
若かリし頃の話。
女性タレントさん達がフリースロー対決してるのを
音声無しの映像だけで チラッと見た。
バスケットボールが似合う女子は
かっこいいと思うのだ。
私なんか
ドリブルでもたついて
ただの“鞠つき”になってしまう…
(>_<)
ボールをつきながら走るなんて
そんな器用なこと出来ないっつーの!!
運動音痴。
だから子供の頃から
運動会が嫌いだった。
中学2年の時のこと。
当時バドミントン部に所属し
それなりに毎日 走って筋トレして素振りして…とやっていたから、
体育の時間の50メートル走で
奇跡の8秒台を 1度だけ出したことがあった。
(8.8秒だったか、8.7秒だったか?)
その年の運動会の、
クラス対抗リレーの女子代表を選ぶ際、
その50メートル走のタイムが参考にされ、
速い順の上位5名が名前を呼ばれた。
あろうことか、
5番目が私だった!
(°□°;)
担任教師が
「この5人の中から2名を選びます。
クラス代表に相応しいと思う人のところで手を挙げて。」
と言って、速い人から訊いていった。
私は絶対に絶対にリレーはイヤだった!
だって、私、
カーブをうまく走れないんだもの…
50メートル走は直線だからなんとかなったが
リレーとなると、トラックのカーブを回らなきゃいけない。
無理ムリ!
っつーか 5番目のあたしが選ばれるわけがない!
誰も手なんか挙げやしないさ!
楽勝楽勝!
○○ちゃんと●●ちゃん(速い上位の2人)頑張ってね~☆
と、自分はすっかり終わった気分でいたら、
「では、さくらさんがいいと思う人?」
の担任の問いに
数人が手を挙げやがったではないか!?
(きれいじゃない言葉で失礼!)
え゙ーーー?!
(°□°;)
アホちゃうか??
なんで5番目なのに相応しいとか思うわけ?!
あまりの仰天と動揺で
私に挙手したのがどこのどいつか確認するのも忘れたくらいだ。
だが、当然ながらごくごく少数だった為、
私は代表に選ばれずに済み、事なきを得たのだった。
ホッ!(^o^;).....
あ、バスケの話でしたよね?
すっかり横道に逸れました。
常々思うのです、
生まれ変わったら
バスケ部でバシバシ活躍しちゃうような
運動神経抜群な女の子に生まれて来たいなぁ、と。
そんな、無い物ねだりの願望に端を発した
若かリし頃の話。
written by さくら 2009年10月21日 03:33 * コメント(0)
written by さくら 2009年10月11日 03:47 * コメント(0)
靴下が
左足だけ何故か
靴の中で
くしゅくしゅ集まってきてしまう…
言ってる意味、通じます??
歩いてるうちに
靴下が
土踏まずのあたりに
たぐり寄せられるようにして
集まってきちゃうんです、
なぜだか 左足だけそうなる。
パンツスタイルなので
裾で隠れてるから
端から見たら全然なんともないようだけど、
実は、
左の靴の中は
とっても気持ち悪い状態!
...(; ̄_ ̄)...
今、裾をまくったら
左右の靴下の長さが
全然ちぐはぐ!
ひょっとしたら
左側は
完全に靴の中に入り込んじゃって
何も履いてないかのよう!
くるぶし全開、
アキレス腱が寒々しい…
何故?
靴が悪い?
靴下が悪い?
はたまた
私の歩き方の癖?
でも、
常日頃からこうなる訳じゃない。
ということは、
靴下が原因?
特定の靴下と特定の靴との組み合わせが引き起こすミラクルか??
仮にもし、そうだとしたって
そんな組み合わせ、
いちいち覚えちゃいねーぜよ!!
そしてまた
摩訶不思議な現象は繰り返されるのだろう.....
みなさんは
こんなこと無いですか?
密かに
ブーツの中でハイソックスがくしゅくしゅになってる人、
結構いると思うんだよなぁ.....?!
(σ^o^)σ
左足だけ何故か
靴の中で
くしゅくしゅ集まってきてしまう…
言ってる意味、通じます??
歩いてるうちに
靴下が
土踏まずのあたりに
たぐり寄せられるようにして
集まってきちゃうんです、
なぜだか 左足だけそうなる。
パンツスタイルなので
裾で隠れてるから
端から見たら全然なんともないようだけど、
実は、
左の靴の中は
とっても気持ち悪い状態!
...(; ̄_ ̄)...
今、裾をまくったら
左右の靴下の長さが
全然ちぐはぐ!
ひょっとしたら
左側は
完全に靴の中に入り込んじゃって
何も履いてないかのよう!
くるぶし全開、
アキレス腱が寒々しい…
何故?
靴が悪い?
靴下が悪い?
はたまた
私の歩き方の癖?
でも、
常日頃からこうなる訳じゃない。
ということは、
靴下が原因?
特定の靴下と特定の靴との組み合わせが引き起こすミラクルか??
仮にもし、そうだとしたって
そんな組み合わせ、
いちいち覚えちゃいねーぜよ!!
そしてまた
摩訶不思議な現象は繰り返されるのだろう.....
みなさんは
こんなこと無いですか?
密かに
ブーツの中でハイソックスがくしゅくしゅになってる人、
結構いると思うんだよなぁ.....?!
(σ^o^)σ
written by さくら 2009年10月9日 23:59 * コメント(0)
皆様こんばんは!
本日も【あろまのわ】へお立ち寄りいただき ありがとうございます!
すっかりご無沙汰続きのここ最近ですけれども。
わたくし、1つ前の記事から
また1つ大人の階段を登りまして、
33歳になっての10月最初の更新でございます。
アロマノワ(わたくしのお店の名前ですね♪)のサイトから
こちらを知ってお越しいただいてる方もいらっしゃるでしょうか?
だとしましたら、
改めましてどうもこんばんは!
素晴らしく偉大なことは何一つ書いておりませんが
ちっちゃく地味なチャレンジなんぞも ちょいちょいやってます。
お暇でしたら 過去の記事たちも読んでみてくださいな!
【アロマノワ】の原点は、【あろまのわ】でございます。
昭和51年生まれのわたくし、
青春時代の前半を カセットテープで過ごした世代としては
こんな例え方がふさわしいのではないか、と思うのです…
【アロマノワ】がA面ならば、
【あろまのわ】はB面である。
A面は、ポピュラー、メジャー。
B面は、どちらかと言えば マイナー気味な感じ?
オフィシャルとパーソナル。
これはアロマノワのほうで偶然にも使っていた言葉なのですが、
A面がオフィシャルで、B面がパーソナル、
と言い換えられるかもしれません。
A面B面、どっちも好きでどっちも大事、なんて言ったら
「A君も好き
B君も好き
」
みたいな二股女だと思われちゃうかしら?!
私は二股とか、お仕事も掛け持ちが出来ないタイプですので
【アロマノワ】と【あろまのわ】を同じ土俵に並べるのではなく、
A面(オフィシャル)・B面(パーソナル)というそれぞれの土俵を作ることで
両者がケンカしなくてすむ、というか
「両立」という概念(それは時に非常なプレッシャー)から解放される、というか…
ただね、1つ言いたいことがある!
カセットテープ世代の方、思い出して!
B面に収録されてた曲が 意外にも後世まで歌い継がれる名曲って事、たまにあるでしょう?
あなたの好きだったあのアーティストのアルバムテープのB面にも
あなたが大好きだった曲が必ずあったはず!!
ヤングなCD世代だって、
シングル曲よりもアルバムの中の1曲に強い思い入れがあったりすること、
1つや2つどころじゃないはずでしょ?!
あぁ、こう書いちゃうと
A面よりもB面のほうが優れてる、みたいな解釈されちゃうかな?
そうじゃなくてね、
「B面」という響きに卑屈になるな
ってこと!(…なのかな??)
【あろまのわ】は、B面であることに堂々と誇りを持っていたいのです!
“山椒は小粒でぴりりと辛い”
【あろまのわ】は、そんな小粒の山椒でありたいのです。
わたくし さくらも、そんな存在になりたいと常々思うのであります。
33歳、頑張ります!
…おっと!勘違いなさらないで!
辛口キャラになりたいのではありませんっ
ちっちゃーーい小粒だけど 存在感をぴりりと発揮できる人間になりたい、
という意味ね
本日のA面B面の説明をもちまして、
2つ前の記事 ついに解禁&リンク! の最後に
リンクに関してもう少し書きたいことがある、と言っていたことへの
アンサーとさせていただきます。
本日も【あろまのわ】へお立ち寄りいただき ありがとうございます!
すっかりご無沙汰続きのここ最近ですけれども。
わたくし、1つ前の記事から
また1つ大人の階段を登りまして、
33歳になっての10月最初の更新でございます。
アロマノワ(わたくしのお店の名前ですね♪)のサイトから
こちらを知ってお越しいただいてる方もいらっしゃるでしょうか?
だとしましたら、
改めましてどうもこんばんは!
素晴らしく偉大なことは何一つ書いておりませんが
ちっちゃく地味なチャレンジなんぞも ちょいちょいやってます。
お暇でしたら 過去の記事たちも読んでみてくださいな!
【アロマノワ】の原点は、【あろまのわ】でございます。
昭和51年生まれのわたくし、
青春時代の前半を カセットテープで過ごした世代としては
こんな例え方がふさわしいのではないか、と思うのです…
【アロマノワ】がA面ならば、
【あろまのわ】はB面である。
A面は、ポピュラー、メジャー。
B面は、どちらかと言えば マイナー気味な感じ?
オフィシャルとパーソナル。
これはアロマノワのほうで偶然にも使っていた言葉なのですが、
A面がオフィシャルで、B面がパーソナル、
と言い換えられるかもしれません。
A面B面、どっちも好きでどっちも大事、なんて言ったら
「A君も好き
B君も好き
」
みたいな二股女だと思われちゃうかしら?!
私は二股とか、お仕事も掛け持ちが出来ないタイプですので
【アロマノワ】と【あろまのわ】を同じ土俵に並べるのではなく、
A面(オフィシャル)・B面(パーソナル)というそれぞれの土俵を作ることで
両者がケンカしなくてすむ、というか
「両立」という概念(それは時に非常なプレッシャー)から解放される、というか…
ただね、1つ言いたいことがある!
カセットテープ世代の方、思い出して!
B面に収録されてた曲が 意外にも後世まで歌い継がれる名曲って事、たまにあるでしょう?
あなたの好きだったあのアーティストのアルバムテープのB面にも
あなたが大好きだった曲が必ずあったはず!!
ヤングなCD世代だって、
シングル曲よりもアルバムの中の1曲に強い思い入れがあったりすること、
1つや2つどころじゃないはずでしょ?!
あぁ、こう書いちゃうと
A面よりもB面のほうが優れてる、みたいな解釈されちゃうかな?
そうじゃなくてね、
「B面」という響きに卑屈になるな
ってこと!(…なのかな??)
【あろまのわ】は、B面であることに堂々と誇りを持っていたいのです!
“山椒は小粒でぴりりと辛い”
【あろまのわ】は、そんな小粒の山椒でありたいのです。
わたくし さくらも、そんな存在になりたいと常々思うのであります。
33歳、頑張ります!
…おっと!勘違いなさらないで!
辛口キャラになりたいのではありませんっ
ちっちゃーーい小粒だけど 存在感をぴりりと発揮できる人間になりたい、
という意味ね
本日のA面B面の説明をもちまして、
2つ前の記事 ついに解禁&リンク! の最後に
リンクに関してもう少し書きたいことがある、と言っていたことへの
アンサーとさせていただきます。
written by さくら 2009年10月6日 02:23 * コメント(0)

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